前田敦子AKB48卒業のキャリア論

2012.3.26  1946Views

皆さん、こんにちは。常見陽平です。




「社会人7年目」の前田敦子 卒業は当然?




昨日のビッグサプライズと言えば、AKB48の前田敦子の卒業でした。
私はアイドル評論家でもサブカル批評家でもありませんが、今回の発表について思うことを徒然なるままに書き綴ってみたいと思います。


中年の昔話で恐縮ですが、今回の件で私は、80年代半ばにおニャン子クラブから、やはりトップクラスのヒロインだった新田恵利などが卒業したときのことを思い出しました。
その時も、ショックと、応援したいという気持ちとが渾然一体となった、複雑な心境になったものです。
思えば、おニャン子クラブは日本のアイドル界における革命的な事件でした。
正直なところ、決して美人ではない人、歌やダンスがうまくない人も含め、素人がアイドルになるという流れができました。
AKB48は、それをさら進め、ファンとの接点などインタラクティブ性を重視。
数々のサプライズ、ハプニングがファンを夢中にさせました。
おニャン子クラブよりずっと美人ぞろいですし。
社会現象としてのインパクトも、ビジネスモデルとしての完成度もおニャン子クラブを大きくこえているのではないでしょうか。


そんな人気絶頂期の、しかもエースの「卒業」は大変なインパクトです。
これをどう捉えるべきでしょうか?


前田敦子の声明などによると、「本人の意思」だとのこと。
今後についての明確な話はありませんが、彼女ほどのスターですから、活動のステージは無限に広がっていることでしょう。


前田敦子は14歳でAKB48に参加。
現在、6年半在籍しています。
現在も20歳で世の中全体では若い方なわけですが、社会人に換算すると7年目。
大卒ならアラサー女子に相当する年次です。
今後のキャリアについて考える時期ではあります。
次のステップを目指すのも当然といえるでしょう。
もちろん、本当に本人が目指しているのか、事務所が絵を描いているのかはわかりませんけどね。


同じことをやっていては成長、変化、進化はありません。
AKB48は変化の激しい組織ではあるものの、組織内ではこれ以上の成長がないとも考えられるでしょう。


働き方というのも人生のステージにおいて変化します。
リクルートワークス研究所所長の大久保幸夫氏の理論では、日本型キャリアは「筏くだりと山登り」だと言われています。
特にある程度の規模の企業に正社員の総合職として採用された場合、まるで筏くだりのように、様々な経験をしていきます。


「最初は営業だ」
「今度は大阪支店に行ってくれ」
「営業の経験を活かして、本社で営業企画をやってくれ」
というように。


その過程で、仕事人生のテーマに気づき、そのテーマを追いかける「山登り」モードに移行するのです。
前田敦子が山登りモードに移行したかどうかはわかりません。
ただ、6年半のAKB48での経験から次のステージが見えたのでしょう、きっと。


もう一つ、働き方の視点から言うならば、年齢や人生のステージにおいて、気持ち良い働き方は違います。
週刊誌などでも何度かバッシング記事がありましたが、「AKB48」という「職場」はある意味、「ブラック企業」とも言えます。
見世物となり、常に競争させられ、長時間労働となり、誹謗中傷も受け、プライベートもない...。
傷つきながら夢を見る生き方なんて、あるのでしょうか。
若いうちは錆びつくよりも燃え尽きたいと思うわけですが、でも、人生を太く短く生きる、そんな過激なセンチメンタリズムばかりではいつか倒れます。
AKB48からの卒業後も多忙でしょうけど。


エースが辞めることは次世代の育成にもつながると言えます。
トップ営業マン、カリスマ企画マンなど、「絶対王者」の異動を何度も目撃してきました。
その際に、課長、編集長など彼ら彼女たちが担当していたポストは次の世代に受け継がれますし、一般の社員においても、若い社員がより大きな顧客や案件を担当するようになります。
ある意味、責任重大で「分不相応な大きな仕事」を任されるわけですが、これが後進の成長につながることは間違いありません。


何しろ、今回の件は卒業であって、引退ではありません。
絶頂期にグループを離脱するという身のひき方に、美学を感じます。


私たちも時代の砂漠をさまよっていてはいけません。
「AKB48の前田敦子」から自立し、お互いに次の旅に向かわなくてはならないのです。


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コンフォートゾーンから飛び出そう




3月は卒業式のシーズンです。学生たちが卒業していきます。


大学生に関していうと、最近では、就職留年、あるいは大学生活を楽しみつくすための戦略的留年も増えています。
また、就職先、もっと言うと進路が決まらないまま、大学を出る人だって多数います。


卒業と言いますけれど、何を卒業するのでしょう。
大学を卒業するということは、事務的に言うならば取得するべき単位と卒業論文が揃い、大学卒だと認定された状態のことを言います。
お祝いムードに水をさすようで申し訳ないのですけど、これは実にいい加減な認定です。
単位取得の基準は揃っているわけではないですし、卒論はお情けで通すことも。
オールCだって卒業はできます。


皆さんは大学卒のレベルには達しているわけではなく、ただラベルを手に入れただけなのかもしれません。


大学の卒業は、支配からの卒業ではありません。
雇用形態などはともかく、企業社会に飲み込まれていきます。
大学生活で得た自信はことごとく崩壊していくことでしょう。
所詮、大学時代の成功体験の多くは居心地のよい人間関係の中で、自分が好きでやったことです。
企業社会は、好きなことよりも「やらなければならないこと」の連続です。
「就活」の「ウソ」の一つは、所詮、学生も企業も「好き」なこと「やりたい」ことで会話していることなのです。
これではギャップがあって当然です。
前田敦子ですら、「やりたいこと」と「やらなければならないこと」の葛藤はあったことでしょう。


さらに就活の「罪」を言うならば、就職難と言われる中、内定した学生たちは、構造的に「天狗」になっていきます。
家族にも大学のキャリアセンター職員にも、企業の人事にもチヤホヤされます。
就活は学業を阻害すると悪者視されますが、文系を中心に、早く内定した学生は卒論くらいしかやることがない、これもまた事実です。
気づけば、「内定」くらいで得た根拠のない自信とつかぬ間の自由ですっかり残念な人になっていくわけです。
入社してからのギャップにも苦しみます。


大学生活よりも、この先の人生の方がずっと長いです。
学生時代のことはいったん、いいです。
新しい成功体験をつくってください。
前田敦子がそうだったように、すごい勢いで組織の枠をこえてください。
大学の卒業式は自由な人生の葬式ではありません。
入学式、内定式、卒業式、結婚式、葬式が人生の絶頂という、普通の日本人を大きくこえてください。


豊かな社会とは可能性と多様性がある社会だと信じています。
前田敦子と皆さんの可能性、そしてそれぞれの多様な生き方をどこまでも応援したいと思います。


執筆者プロフィール

常見陽平

常見陽平

評論家
北海道札幌市出身。一橋大学商学部卒業。一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了。
リクルート、玩具メーカー、クオリティ・オブ・ライフ(現在:フェロー)を経てフリーに。
雇用・労働、キャリア、若者論などをテーマに執筆、講演に没頭中。
2015年4月 千葉商科大学に新設された国際教養学部の専任講師に就任。
著書多数。