誰も「就活」を知らないという永遠の課題

2012.2.14  2115Views

皆さん、こんにちは。常見陽平です。


今日のエントリーは、徒然日記です。


要するに言いたいのは、「世の中の現実って、学生にも大人にも届いていないよね」ということなのですが、特に結論も提案もありません。話も飛びまくります。お含みおきください。



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厚労省は就活を知らなかったのか?


岩波書店の通称「コネ採用」問題が話題になりました。
この件についての見解は以前のエントリーをご覧ください。


この問題について、小宮山洋子厚労相は、岩波について調査するなどのコメントをしました。


その件についての意見は、今週のプレイボーイでコメントしているのでご覧ください。
※記事への直リンクではありますが、水着動画などが突然、横にでてくることをお含みおきください。


今日、ここで言いたいのは、「あれ、厚労省って、小宮山さんって、そんなことも知らなかったの?」ということですね。
コネ採用については、あることはもはや常識と言っていいでしょう。
90年代からメディアでも実態が報道されてきました。
これを今さら知らなかったということの方が、首をかしげてしまいます。


わかっていなかったのね、と。
少なくともわからないふりをするのね、と。


むしろ、つっこみを入れるべきなのは、岩波書店ではなく、厚労省ではないでしょうか?




「就活」と「個性」という永遠の悩み






私は今、出張先の大阪にいます。


ホテルで新聞のサービスがありました。私の部屋に配られたのは朝日新聞でした。
名物コラムの天声人語(2月14日付)を読みました。
「就活」と「個性」に関する記事でした。
要するに、就活のせいで没個性になっているんじゃないかということですかね。
気持ちはわかるものの、この記事に対してというわけでなく、「個性」という曖昧な言葉について考えてしまいました。


皆さん、「個性」という言葉を聞いて思い浮かぶことを文字や絵で表現してみてください。


きっと、個々人で解釈は異なるでしょう。
世の中ではちょっと変わった格好の人、言動が変わっている人を個性的な人と呼んでいるように思います。
でも、そもそも個性とは誰にでもあるものでしょう。
「個性」という言葉の解釈が多様であること、これもまた若者を苦しめています。


採用担当者をしていた頃、合同説明会のブースでよく「面接では個性を出した方がいいですか?演技した方がいいですか?」と聞かれたことがありました。
この質問をしている段階でどうかと思うのですが、みんな悩むわけですよ。
「勉強熱心な自分と、はっちゃけた自分とどっちでいくか悩んでいます」なんて相談を受けたことも。
なんとも答えづらい質問じゃないですか。
いや、これまたそんなことを相談している段階でどうかと思うのですが。


この天声人語の記事自体、申し訳ないですが、就活の実態をわかっていない人の意見です。
就活が若者を型にはめている部分があるのは事実でしょう。
ただ、悩ましいことで企業の人事は就活くらいで萎縮する学生は欲しくないのですよね。
リクルートスーツであれ、自分の色を出せる学生が欲しいのですね。
いまの就活のやり方で、減点法に強い、ミスをしないかわりにチャレンジしない学生ばかりが残っていることに、企業はとっくに気づいていて、選考方法を変えるなど工夫をしています。
就活エリート、就活マシンはいらないというわけですね。
また、リクルートスーツを脱いだら、いきなり個性的になるのかも別問題ですね。
ここは自由化することには賛成ですが、今のリクルートスーツは実はかなり安くなっており、むしろ学生を救っている側面もあるのですよ。
大人に理解されるセンスのよい私服は学生にはなかなか難しいのではないか、と。
就活をめぐる議論で見落としてはいけないのは、単なる制度論に走りがちなことです。
もちろん、具体的な制度がないと変わらないのですが、それだけで変わるわけではありません。
このように、リクルートスーツを禁止したら、あるいは東大を始めとする大学が秋入学になったら全てがよくなるような話は議論のすり替えと言っていいでしょう。
個性があればあるで叩き潰すのも企業ですしね。
こういう就活だけを悪者にした議論にはいつも首をかしげてしまいます。


ずっと言っていることですけど、日本社会の歪みを一番可視化しているのが、就活なんですよ。




「確かなものがほしい」という女子学生の悩み。






先日、津田塾大学の2年生からメールがありました。


2010年から気鋭の哲学者、萱野稔人先生の講義に、ゲストスピーカーとして登壇しています。
2010年の際は、学生生活に関する話になり、「津田塾の学生だったら、TOEICは700点といわず、900点を目指しなさい」という話をしました。
記憶がうろ覚えですが、学生との質問のやり取りで言ったように思います。
「就活で絶対有利な資格はなんですか?」というような質問に対してでした。
そんなものはほぼないというのが私の答えなのですが、たしかにそのとき、エントリーシートを読む際に、TOEIC900点以上の学生は必ず面接に呼んでいつ企業があることを話しました。
とはいえ、内定が約束されるわけではありませんけどね(その話もしました)。


あれから約2年、学生さんからメールがきたのです。「TOEIC900点とりました!」という知らせでした。
やればできるではないですか。
一方で、その後のメールは不安に満ちていました。
TOEIC900点とったところで、就活がうまくいくかどうか不安、先輩たちはみんな苦戦している、やっぱり不本意入学で入った津田塾は就活に不利な大学なのか、どうすればいいのか?という内容でした。
読んでいて胸が痛くなりました。


ふと、考えました。


うん、昔も今も、学生は確かなものを求めるわけだな、と。
資格や制度など、何か確かなものがないと不安なのだな、と。


もちろん、昭和的な幸せな物語が崩壊しつつある世の中です。
津田塾に限らず、仮に彼女がもともと行きたかった大学にいけたところで、幸せが約束されない世の中ですから。


ただ、この決定論的に考え、生きるということについて早く考えを改めるべきだなと感じました。


これもまた日本の問題なのですが、日本の教育では、大学までと大学からが大きく異なります。
答えがある世界、それを覚える世界から、知識や理論を学びつつも自分で考える世界に移行します。
一部の高校、大学以外では基本的にこうであり、このギャップが問題なのです。


本来であれば、大学2年生にもなればそういうことに気づくはずなのですけど、頑張ってTOEIC900点をとった、おそらく真面目で頑張りやさんだと思う彼女も気づかない。
それはなぜか?大学だけのせいにするつもりはありませんけど、本来大学で学ぶべき健全な批判精神、物事の真実について考えぬく力が育っていないのではないかと考えます。
入りやすく出やすい、日本の大学の課題が明らかになっているわけです。
ロクに考えなくても、出席さえして(...しなくても)、過去問を解いて対策をすれば単位が取れるわけですからね。
そして学生はAや優を目指しているのではなく、単位が取れることを目的化しています。
これじゃ、考えぬく力なんて身につきませんよね。


ここ数年、何でも就活が悪者にされ、学業阻害論が正当化されてきましたが、では、大学の勉強も素晴らしいものですかね?
社会で求められる力、現実が大学生に届いていないことも問題ですね。


それでも不安で仕方なく、確かなものが欲しくて模索する女子学生からのメールに胸が打たれたわけです。


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会社と社会に対する幻想を一度壊してみる






2月になり、セミナーラッシュの毎日です。
私も日々、ゲストスピーカーなどをしております。
ある企業でセミナーをした際、学生たちからの質問を聞いて、「あぁ、世の中の現実は全然届いていないのだな」と再確認しました。


仕事はそうそう楽ではありません。
お客さんから無理難題を言われる、数字に追いかけられる、忙しい中、時間をやりくりする。
これもまた仕事の一側面です。


「これだから企業社会は」と言われるかもしれませんが、それを批判する大学教職員の仕事を覗いてみても、そういう側面はありますよ。
いや、むしろより過酷だと言えるでしょう。
公務員だって、無理な仕事や複雑な人間関係に悩んだりします。


もちろん、ブラック企業問題、まだまだ残る女性差別、セクハラ・パワハラ(大学においてはアカハラ)などもっと問題にしていい、解決するべきことはたくさんあります。


一方で、「現実はこうなんだ」ということに気づくことも大事だと思うのですね。
そして、大人たちは立場上言えないことも多数ありますが、そんなことを伝えていくべきではないかと思った次第です。


就活をめぐる議論はいつも、建前と本音、それぞれの立場が複雑に絡み合い、結果としてはポジショントーク同士の議論になり、解決策はいつも学生と大学、企業の実態とずれるのですよね。


そして、自分が見えている視界でしか話をしません。
私は、おかげ様で就活に関わる様々な立場の人と会う機会があり、客観的に見ることができている方だと思いますが、とはいえ、全体を俯瞰して見えているとは思えません。
どうしても個人的にスタンスが反映されてしまします。


それも含めて、結果として就活を巡る議論は、変な方向に進んでいくわけですね。
誰も就活を知らずに議論してしまうわけですよ。
そして、意味のない対立や被害妄想も生まれてしまうわけですよ。


本当はどうなんだろうと思うクセ、自分が見聞きしたことをちゃんと発信すること、相手の立場を考えた議論を期待したいところです。




気づけば長い徒然話になってしまいました。
出張先で迎えたバレンタインデーに、思うことを思うままに語った次第です。






話が拡散しましたが、皆さん、それぞれの問題についてどう思われましたか?


執筆者プロフィール

常見陽平

常見陽平

評論家
北海道札幌市出身。一橋大学商学部卒業。一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了。
リクルート、玩具メーカー、クオリティ・オブ・ライフ(現在:フェロー)を経てフリーに。
雇用・労働、キャリア、若者論などをテーマに執筆、講演に没頭中。
2015年4月 千葉商科大学に新設された国際教養学部の専任講師に就任。
著書多数。