[雑感]博報堂を辞めたら、人生は変わるのだろうか?

2011.9.20  14481Views

皆さん、こんにちは。常見陽平です。


今日のエントリーは徒然なるままに書きます。
別に結論のような類のものがあるエントリーではないことをご了承ください。


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「博報堂を辞めました」がいつの間にか話題になっていた




実は先週、山篭りしていました。
関西学院大学のキャリアゼミアドバンストというプログラムで、3泊4日で兵庫県の三田(さんだ)の駅からクルマで20分くらいのところにある関西学院大学千苅キャンプ場で行う泊まり込み研修を実施していました。


山奥なので、ドコモ回線のスマホもつながったりつながらなかったりでした。
宿舎には無線LANがありましたが、ロビーまでPCを持って行かなければつながりません。
EMOBILEはまったくつながらない場所でした。ある意味、ネットからほぼ遮断されて過ごしました。
TwitterのタイムラインもFacebookもほぼ見ないで過ごしました。


一つの気づきは、電話がたまにつながれば、それほど困らないということ。
本当に大事なことは電話で伝えるのが一番だし、ネットにある情報は今すぐ必要とは限らないということですね。
これまた一つの気づきでした。


下山した後に、このエントリーが話題になっていることに気づきました。


「博報堂を辞めました。」


現在、Twitterで約2400RT、Facebookでも同じ数くらい「いいね!」が押されています。


読んでみましたが、つきなみな言葉ではありますが、胸を打つ文章だなと思いました。
私も大企業に窮屈さを感じて退職し、現在では零細企業で働き、非常勤講師を掛け持ち、
物書きをするという不安定でインディペンデントな立場に身を置いているので、共感する部分がいっぱいです。


言葉に生々しさがあり、覚悟を感じることから、これだけの反響になったのだなと思います。魂を感じます。


一方、人生の少し先輩として、また仕事柄、様々な人の人生を覗いてきた立場から、
「!」や「?」を感じる部分がありましたので、思ったことを思ったように書きたいと思います。
別に揚げ足とりをしているわけではありません。


いつも、このサイトを読んでくれている皆さんに、多様な視点を提供したいのです。




「20代に仕事のことは分からない」「若手が活躍できる仕事なんてそこそこだ」




この方は、


(以下、引用)-----------------------------------------------------------------------


「僕は運良く博報堂に入社しました。
そして運良く、第一志望のインタラクティブプランナーになりました。
インタラクティブなコミュニケーションを通じて、大きなスケールの中で、
人々のライフスタイルをデザインできると思っていました。


具体的には書けないですが、先進的なプロジェクトのディレクションに携わるなど、
扱うコミュニケーションの大きさに興奮していました。」


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とあります。
実際のプロジェクトがどうだったのか分からないのですが、
本当にこのプロジェクトはそう言うほど大きなプロジェクトだったのですかね?と突っ込みたくなりました。
いや、少なくとも彼にとっては大きな体験だと思いますが。


私が以前言われて印象に残った言葉があります。
一つは、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した作家であり、
仕事漂流 ― 就職氷河期世代の「働き方」 』の著者である稲泉連さんとお会いした際に言われた一言です。


「常見さん、20代の頃は仕事のことなんてわからなかったですよね」


たしかこんな言葉でした。


まさに20代にこれほど大きな快挙を成し遂げた方からこの一言を聞き、大変に印象に残ったわけです。
そして、私も同意することでした。


もちろん、企業により仕事の任せ方は違うわけですが、たしかに20代に取り組んだ仕事の大きさはそこそこだったな、と。


そして、プロジェクト全体をみる体験は多くの企業ではなかなかできません。


もちろん、大手企業を含め先進的な日本企業、外資系企業、ベンチャー企業ではそんな体験ができることもありますが、冷静にみると年長者、上司・先輩はたいていの場合、相対的により大きく、責任の重い仕事を任されているわけです。


同じく、人事担当者をしていたときに聞いた、大学での企業説明会で、
ある企業の人事担当者と先輩社員のやり取りが印象に残っています。


その企業の人事担当者はケースを紹介しつつ、
「ウチは若いうちから大きな仕事にチャレンジできます。○○という商品も入社2年目が仕掛けました」
というようなことを言っていました。


それに対して、その企業の先輩社員はこう言いました。


「人事はああ言っていますけど、皆さん、ウソだと思いますよ。
2年目がそんな商品を簡単に仕掛けられたら、企業はもっと業績がいいはず。
仕事はそんなに生易しいものではありません。だったらその先輩の存在価値は何なのかという話になります」


先輩人事担当者に対して公然とこう言えるこの方は強いなと思ったのですが、説得力を感じる一言でした。


この方はもし辞めなかったら、もっともっと大きな、難易度の高くやりがいのある仕事にチャレンジできたかもしれないな。
それを知る前に退職したのはちょっと勿体なかったなと思った次第であります。




「だったら、どうすればいいのか?」を組織内で仕掛ける当事者意識




城繁幸氏の『若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書) 』に代表されるように、
「上司・先輩の昭和的価値観に失望し、若者は早期に退職するのではないか」という見方があります。


昭和的価値観については、特に大企業時代、私も上の世代に感じたことでした。
また、企業の戦略や組織が時代に合っていなくて、そこで悶々としたり、疑問を感じるというのもよくわかります。


この方も、代理店ビジネスの限界を感じ、ソーシャルメディアの台頭に対してどうするかを考えたと言います。
これらも退職に至った原因でしょう。


でも、もし組織に残ったとしたら、彼は何をしたのか。
気になるところです。


「だったらどうするか?」を考えるのがプロです。


以前、先輩に言われたのは「組織に不利益をもたらすと感じたら、入社1年目でも、組織に警鐘を鳴らせ」ということでした。


私がもし、上司の立場だったら、「じゃあ、その代理店ビジネスの限界を、より具体的に組織に発信してほしい」と思ったことでしょう。
もちろん、それだけではすぐに変わるわけではないですし、実現しやすい環境に移った方が早いですが。
人生は有限であり、やりたいと思ったことを成し遂げずに終わることが一番のリスクなのですが。


「だったらどうするか?」これに一生懸命取組む機会がなかったのは残念だったな、と。




制約を楽しむ、乗り越えることこそサラリーマンの醍醐味




このエントリーによると、彼が退職した理由の一つに、
外部で運営していた取り組みについて広報から「リスクがある」という警告があったことがあげられています。
多くの人は「頭固いなぁ」「だから大企業は」と思ったことでしょう。私もそう思いましたよ、えぇ。
博報堂は以前、もっと企業内個人が社外活動に取り組んでいた印象があったものですが。


ただ、ここも冷静に考えてみてください。自分が上場企業(厳密には持株会社が上場している企業の主力事業会社)の広報担当者だったら、どうするでしょうか?


やはりリスク対応は考えますよね。
広報とはそういう部門なのです。
いや、私も広報担当者を経験し、一方で取材の依頼などで広報とやり取りをするわけですが、そりゃ冷たく対応せざるを得ないなと思う瞬間はありますよ。


前の項目とややかぶりますが、この制約をどうやったら乗り越えられるか。


これを考えるのもまたサラリーマンの醍醐味です。
そして、大企業にもそのような組織の制約を乗り越え、社内外で活躍している方はいるわけです。


彼には、すぐに服従するのではなく、もう少し戦って欲しかったなと思った次第であります。




インディペンデントな生き方は楽じゃない




最近はソーシャルメディアの時代であり、このエントリーにもあるように「個の時代」だと言われるわけなのですけど、
その恩恵を誰もが受けられるわけではありません。
つながり格差はすでに起こっています。


このように企業を辞めて新たなプロジェクトを始める人を多数みてきましたが、楽ではありませんよ。
楽しいことは間違いないですが。
ただ、いつの間にか楽しい自分に酔ってしまって、自分に対して「やりがい搾取」をしている人も。
「高木新平として」という趣旨のことを書かれていました。
その覚悟は応援しますが、楽じゃないですよ。


私もインディペンデントな生き方をしていますが、ちょっと目立つと以前働いていた同僚からは「あいつは、同じ部署の時は優秀じゃなかった」など今ではどうでも言いことを影で言われ、
先輩からは「お前よりすごい奴はウチの会社にいっぱいいた」と面と向かって言われ、
売れたら叩かれ、売れなかったら仕事がこなくなる。


そういう世界ですよ、えぇ。
そして、一つでも失敗があると、その後の仕事がこなくなるわけです。


いくらこれまでの実績があったとしても、一寸先は闇なわけで。


「高木新平」になったところで、むしろ自分の小ささに耐えられなくなる瞬間がくることも覚えておいてください。


ちなみに、私がやや脱力したのが、「博報堂というエリート街道を捨てて」という表現です。


「そうか、博報堂はまだエリート街道だったのか」と思った次第であります。
いや、今の時点ではもうとっくにそう思っていないことを祈ります。
そして、やや意地悪な言い方かもしれませんが、「博報堂」という固有名詞がなければ、
このエントリーはおそらく、ここまでは話題にならなかったことでしょう。


大卒は3年で約35%離職しています。
特に中堅・中小企業からは「どうやったら若者が定着するのか?」という相談を頂きます。


まぁ、企業規模はともかく、退職のドラマはいつも、半径数十メートルくらいにあるわけで。
一個人の退職が話題になるのは、博報堂のおかげという皮肉にも注目したいところです。
ちなみに、私の退職は一緒に働いていた同僚と、昔からの仲間以外、なーんにも話題になりませんでしたよ。


退職が話題になる人ではなく、退職後の仕事で話題になる人を目指したいところです。


話題のエントリーを読んで、こんなことを考えていました。
まぁ、『「キャリアアップ」のバカヤロー 自己啓発と転職の"罠"にはまらないために (講談社プラスアルファ新書) 』にも書きましたが、
紆余曲折、試行錯誤を経て進路は広がっていくわけですよ。


この方の、メッセージ発信する勇気と、今後の人生にエールを送りたいと思います。


楽しいことは楽じゃないですけど、頑張りましょうね。










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※この件に関する山本直人さんと中川淳一郎さんのエントリーが面白かったです。


俺だって博報堂を辞めました。(山本直人blog)


オレも博報堂を辞めました。(ガジェット通信)




執筆者プロフィール

常見陽平

常見陽平

評論家
北海道札幌市出身。一橋大学商学部卒業。一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了。
リクルート、玩具メーカー、クオリティ・オブ・ライフ(現在:フェロー)を経てフリーに。
雇用・労働、キャリア、若者論などをテーマに執筆、講演に没頭中。
2015年4月 千葉商科大学に新設された国際教養学部の専任講師に就任。
著書多数。