私が人事だったころ 採用担当者黄金時代とイマドキの「ゆとり採用担当者」

2011.5.10  1378Views

こんにちは、常見陽平です。




新卒採用バブルの時代








2005年~2009年、私は採用担当をしていました。
年度で言うと07年~09年ですね。
この頃は、今からは考えられないほどの売り手市場であり、新卒採用バブルと言われていました。


特に08年度はリクルートが発表する有効求人倍率は2.14倍で、
実に約94万人分の求人がありました。


東京ビックサイトや大阪城ホールはもちろん、
東京ドーム、大阪ドームなどでも合同企業説明会が開かれていました。


当時、採用予算に5億円以上かけていた企業もいくつか知っています。
パンフレットなどの採用ツールにもかなりお金をかけていましたし、ブースも派手でしたね。
当時はメガバンク3行を始め、大手金融機関が大量採用を行っていました。
それこそ、メガバンク3行の合計採用数は約5,500人。みずほ銀行だけで、約2,400名でした...。
売り手市場ということは、企業によっては学生に振り向いてもらえなかったり、
採りたいと思った学生は何社も内定するわけで、取り合いになるのです。


これは、構造的な問題で今も昔も変わらないのですが、当時はそれが現在よりも顕著でした。


それこそ、今は業績もよく、就職先としても人気を集めている企業が、
当時は合同企業説明会で客引きのような活動をし、
「5分でわかる説明をします」と呼びかけても閑古鳥という光景もみました。


内定をいっぱいとることをえらいとは言いませんが、
当時は16社から内定が出たという学生と会ったことがあります・・・。
当時、別の企業で採用担当者をしていた人とお会いする機会がありました。
あの頃、同じ時代に採用担当者をしていた人たちは、
「強敵(とも)」であり、「戦友」という意識が強いです。
それこそ、どのブースが動員だけでなく、内容、学生の満足度が高いのか、
学生から支持される採用活動になっているかどうかなどを競いあってました。


これがまた、気持ち良い競争で、ネガティブキャンペーンなど行うわけではなく、
気持ち良いライバル関係でした。


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採用担当者の変化








大手メーカーで人事をしていた「戦友」はこう語ります。
「あの時代は、採用担当者の黄金時代だったんじゃないか?」と。


たしかに、各社の採用担当者はエースぞろいでした。
大変な戦略家であり、人格者でした。
パネルディスカッションなどを行っても、採用担当者のキャラが濃く、
主張が強く、互いの色を競い合っていました。


細部にまでこだわっており、服装やマナーからブースの運営など、細部にまで気を使っていました。
2009年採用の後半戦から市場が変わり、買い手市場になってきたわけですが、
そこで採用担当者の数が減ったり、異動が相次ぎました。


気づけば魂もスキルも伝承されていないと感じることがよくあります。


学生に対して横柄な対応をする企業も増えたかな、と。


合同企業説明会のブースを見て回っても、服装や、話し方、
ブースの設営から運営まで、「これはないんじゃないか?」と思う瞬間がよくあります。


フケのついたスーツ、タメ語や間違ったビジネス用語、プロジェクターの台形補正がされておらず、
椅子が曲がっているブースで学生に話を聞かせ、選考の日程にも有無を言わせず、
内定を出す際にはその場で各社を辞退させるようにせまる採用担当者が散見されます。


いかがなものでしょうか?
もちろん、企業を選ぶ際は採用担当者だけで見てはいけません。
ビジョンやビジネスモデル、組織風土、任される仕事など着眼点は多数ですが、
「この採用担当者は、大丈夫なのか?」という視点を持つこと、
そして、しかるべき手段で意見を言うことは学生にとって大事なのではないでしょうか。


就活の問題は大きなことから小さなことまでありますが、取り合いになるような学生が物申せば、
意外にじわじわと変わるのではないかとも思っています。




「戦友」との再会で考えたことでした。


執筆者プロフィール

常見陽平

常見陽平

評論家
北海道札幌市出身。一橋大学商学部卒業。一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了。
リクルート、玩具メーカー、クオリティ・オブ・ライフ(現在:フェロー)を経てフリーに。
雇用・労働、キャリア、若者論などをテーマに執筆、講演に没頭中。
2015年4月 千葉商科大学に新設された国際教養学部の専任講師に就任。
著書多数。