いつもヒステリックに論じられる学歴差別問題、今後大学はどうなる?

2011.7.15  4789Views

こんにちは、常見陽平です。


朝起きてネットを見ていたところ、
某大手精密機械メーカーの説明会の学歴フィルターが露骨すぎるという記事が話題になっていました。
記事には会社説明会の予約画面において、対象とする大学名(上位校)を明記し、
大学ごとに予約ができるような画面が載っていました。


学歴差別ネタはいつも炎上しますね・・・。


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不透明な学歴差別


まぁ、ここまで露骨に可視化されたのはなかなかないのですが、実際、学歴差別はよくあることなんですよね。
採用ターゲット校以外はセミナーの予約が取れない、
セミナーを抽選制にしてターゲット校の学生しか当選させない、
ターゲット校以外はエントリーシートを読まないなどはよく行われていることです。


個人的な問題意識としては、「不透明な学歴差別」が問題なのだと考えています。
つまり、頑張っても採用されないのなら、
最初から「あなたは採用しません」と教えてあげた方が互いのためだと思うのです。


今回の件もやや暴論かもしれませんが、募集の告知の段階で採用ターゲット校を明記していたら、
ここまでは話題になっていなかったのではないでしょうか。


もちろん、採用ターゲット校を明記することに踏み切るのは難しいでしょう。


採用活動で接する学生は将来のお客様です。
採用活動は企業のブランディング活動にも活用されるわけです。


企業が人気企業ランキングに力を入れるのも、このためです。
中には、楽しい採用ホームページやグッズを作り、会社説明会も面白くし、
採用ターゲット対象外の学生も呼び出して選考は受けさせ、落としている企業まであります。
もっとも、最近はそんな暇な企業は少なくなりましたが。


異様な盛り上がりをみせる学歴差別ネタ


学歴差別ネタはいつも、ヒステリックな盛り上がりを見せます。


「学歴差別なんて許せない」
「うちの会社の東大卒上司は使えない」
「名経営者として知られる○○さんは大学すら出ていない」
などです。
気づけば、極論と感情論の連続になっています。


このテーマについては、過去にも様々な著書、コラムで書いてきました。
今回、特にスポットを当てたいのは、「大学って何なんだろう?」ということです。
学歴差別はまさに、多くの場合は「入学時の偏差値」や「知名度」「人材輩出度」などによる部分が大きいと思っています。


普通の大学生活ではあがらない、自分自身の付加価値


ここでは「大学生活で、自分の付加価値がどれだけ上がっているのか?」に注目したいと思います。
実は、学歴差別が再生産されるのは、未だに日本の多くの大学は入学時の能力・資質が問題になっており、
学生生活での付加価値を上げていないからではないか、
企業もそこに期待していないからではないかということなのです。


誤解なきように、くれぐれも言いますが、4年間でキャリア教育をやれ、
就活対策をやれと言っているわけではないですよ。
4年間で果たしてどれだけ、自分のスキルやマインドが上がったのかということを問うべきであります。


逆に言うと、普通に学生生活を過ごしてもこの部分が上がらないのが課題です。
そして、気づけば日本の多くの大学は世界でもまれにみる「入りやすく出やすい」ものになってしまっています。
もちろん、大学生活でいかに成長するかに力をいれている大学がありますし、
これらの大学は企業からも評価されているのですが。


Fラン大学にも優秀な学生はいる


もちろん、俗に言うFラン大学にも優秀な学生はたまにいます。


これらの大学の教職員に聞いたところ彼らにはいくつかのパターンがあります。
実は、Fラン大学の優秀層は不本意入学層に多いとのこと。
元々、地頭がよかったということですね。
そして、大学の中でも有名大学出身者や企業出身者のゼミに入って鍛えられています。


もう1つはこれまで、勉強に関して努力をしてこなかった層だという声があります。
いままで学習の機会がなかった分、ぐんぐん伸びるというわけですね。
さらには、ひたすら努力をし、学業も、就活も納得のいくものにした学生もいます。


学歴は「差別」と「区別」で考えるべき


個人的には、学歴差別ネタでヒステリックなるのはそろそろやめて、
その問題の根深さに気づくべきだと思っています。


そして、「差別」と「区別」を分けて考えるべきなのではないかと思っています。
また、大学の提供価値、そしてそれを冷徹にみた上での大学選び、
及び大学生活の過ごし方が問われるのではないでしょうか。
 

今後、大学はどうなる?


ただ、ヒステリックな学歴差別論も20年後には一段落しているのではないかと思います。


今後は、大学の機能分化が進んでいくと私はみています。


約780もある大学を「大学」と一括りに捉えるのではなく、
それぞれの役割を理解して、評価する時代になるのではないでしょうか。
元々、文部科学省は大学の機能別分化という方針を出しています。
大学の機能を ①世界的研究・教育拠点 ②高度専門職業人養成 ③幅広い職業人養成 
④総合的教養教育 ⑤特定の専門的分野(芸術,体育等)の教育・研究 
⑥地域の生涯学習機会の拠点 ⑦社会貢献機能(地域貢献,産学官連携,国際交流等)などの7つに定義し、
各大学がその一部の機能を担うような方向に考えています。


単純な偏差値による差ではなく、
ミッション・ビジョン・バリューの違いに注目する時代に移行していくのではないでしょうか。
最近、話題になっている東大の秋入学などの一連の改革もその流れにあると言えると思います。


今後は単なる差別や格差ではなく、大学ごとの「違い」を捉える時代になっていくのではないでしょうか。






まぁ、何より問われるのは個人です。


皆さんもなんだかんだ言って大学ブランドにしがみついている部分、
助けてもらっている部分があると思いますが、
大学ブランドが外れた際の自分という存在について、今一度問い直してみてはいかがでしょうか。

執筆者プロフィール

常見陽平

常見陽平

評論家
北海道札幌市出身。一橋大学商学部卒業。一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了。
リクルート、玩具メーカー、クオリティ・オブ・ライフ(現在:フェロー)を経てフリーに。
雇用・労働、キャリア、若者論などをテーマに執筆、講演に没頭中。
2015年4月 千葉商科大学に新設された国際教養学部の専任講師に就任。
著書多数。